2009年5月26日火曜日

ふるさと東京-江古田にて-2(入間校舎のこと)

今年の作品展用の創作がなかなか進まず、随分と日が経ってしまった。
まだ完成したわけではないし、完全に目処が立ったわけでもないが、時間的には、あともう少しといったところだろうか。ちなみに作品展は、東京のすみだトリフォニー小ホールにて、六月二十五日PM7:00開演。チケット予約その他は、作曲家集団・グループNEXTまたは、現代音楽の音書き部屋にて。もちろんネット予約割引ありです。
と、一応は宣伝しておきますので、もしこのブログをご覧の方で、お越しいただける方は、よろしくご来場のほどを、お願い申し上げます


江古田のアパートひばり荘にて、大学生活がスタートした。
大学一年、二年は江古田から西武線にて、入間市の仏子(ぶし)までの通学である。どれくらい時間がかかったであろう・・・電車に乗る時間が40〜50分、歩きや待ち時間を合わせて一時間半くらいだったであろうか。
短い時間では無かったが、長すぎる時間でもない。電車の中では朝刊を読み(貧乏生活だというのに、なぜか新聞だけは欠かさなかった)、必要があれば授業の予習(いや、勤勉だからではなく、課題が間に合わなかったとき・・・)、そして車窓からの景色を眺める。
この景色がなかなかよかった。今はどうかわからないが、清瀬、秋津付近や所沢を過ぎた辺りでは、大自然真っ只中で、朝陽に輝く木々の青さに感動し、遠くの眺めに目を細めたものだ。
やはり東京に住むと緑を懐かしむ気持ちは大きくなる。公園や街中には植樹が賑わってはいたが、やはりほんまもんの自然は違う。決してスケールが大きな場所でなくとも、元から存在していたものと、人の手によって造作されたものの違いは明か。毎日何らかの自然を、電車通学によって感じ取ることが出来たのは大きかった。
時折、乗車が同じになる友人たちとの、ちょっとした語らいも良い思いで。

大学のある仏子に到着すると、閑静な住宅街を50mほど歩き、大学の門に到着(いや、この敷地内の最初にあったのは、門というほどものではなかったかな)、そこから校地内バスに乗るわけだ。なにぶんにも敷地に入ってから、講義を受ける校舎にたどり着くためには、山登り状態の道であるため、バスが存在していた。
このバスを一本逃したり、満員で乗れなかったりすると大変なことになる。出席票を始めに集める授業であったりすると、当然のことながら遅刻扱いとなってしまう。
そのため、あちらこちらで、発車するバスに乗る友人に向かって、「これ頼む〜っ!」と、出席票を手渡す姿が(笑)。かくいう私も、そのような不正をはたらいたことのある一人である。

しかし、午後からの授業であったり、一限の授業がなかったりしたときは、この入り口からのバスの本数はめっきりと少なくなってしまうため、徒歩での入山となる。
右手に小さな山を臨みながら、校地内レストラン(学食ではあるが、一応つくりはレストランで、多少値の張るものがあり(まあ学食レベルでの値段だが)、校舎群の女子寮内にある学食が昼のみであるのに対し、夕方までは営業していた)を過ぎ、ちょっとしたハイキングコースのような山登り・・・。
新緑の季節など、特に気持ちよい道ではあったが、運の悪いことに授業がフルコース(講義、作曲レッスン、体育、副科ヴァイオリン)の時があり、教科書はめいっぱい、体操着、ヴァイオリン、楽譜と重いのなんの、かさばるのなんの・・・この日ばかりは遅刻は出来なかった。
しかし、帰宅時間に丁度校地内バスが無いと、歩いての下山である。まあ山道の下山は楽ではあったが、その後は、やはり多い荷物に閉口したものだ。

校舎群であるが、真っ白な建物が並び、そのなかにいくつもの講義室、図書室、オーディオルームなどがあり、快適そのもの。見た目にも美しく、初めてこの敷地内に入ったときから感動したものだ。
それからバッハザールと呼ばれるホールがまた立派! 入学式などもここで行われたが、音楽大学に入れたんだな〜 と、実感できたものだ。この入学式の折りに、萩原秀彦氏の作曲されたオルガン曲が流れ、これも印象的であった。
それからグラウンドも整備されており、広々としたところでの体育の授業も、いやいやながら(笑)、気持ちの良い時間でもあった。

特にこの頃の友人、先輩、後輩たちとの思いでは尽きない。
授業の予習を手分けしてやったり(笑)、得意分野を教えあったり、伴奏を頼んだりと、よい思い出が連なる。そのほとんどとは連絡を取り合ったりはしていないが、みんな元気であろうか。
卒業後も私は江古田近辺に住み続けていたので、何年間かは偶然に江古田で会ったりしていたが、時が経つにつれて、それもほとんど無くなってしまった。
今となっては、せめて年賀状のやりとりだけでも続けていればよかったと後悔している。

私の専攻である「作曲」に関しては、大学の一年では、確か g moll のフルートとピアノのデュオを書いたと記憶しているが、私はこの試演会で悟った。
調性音楽は私には書けない・・・と。あっさりと調性音楽に挫折してしまった。
まあ、要するに大失敗作であったわけだ。楽器の使い方から音楽の流れや技法に至るまで、そのほとんどに自身でも不満だらけ・・・ましてや私を教えていた師匠に至っては、どれほどのストレスをおかけしてしまったことやら・・・申し訳ありません。

というわけで、二年の試演会では、初めての無調音楽に挑戦。弦楽四重奏であったが、書いていて楽しかった。やっと自分の居場所が見つかった気分を味わえたが、これも大いなる勘違いで、今その楽譜を見直せば、当然ながら赤面ものであり、よくぞこんなせこいテーマで書いたものだと、失われた過去を取り戻したい気分となってしまう。
なんだか、増四度と半音階の固まりばかりで、こうすれば簡単に調性音楽ではなくなりますよ、というだけの音並び。
あ〜 恥ずかしい恥ずかしい。

もっとも・・・・今も同じようなものかも知れないが。

と、いうことで次回は、大学三年、四年の頃のお話し、肝心の江古田界隈のことは、その次ということになろうか・・・または次回に一緒に書いてしまうか。
いずれにしても、現在作曲中の作品を完成してから。

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