本来は、ふるさと東京-江古田にて-2 になるはずだったのだが、常盤台にて-2 となる。
作曲中で気が急いているのだろう。初めて東京に出て住んだ街だというのに、その街の風景を何も書いてはいなかった。こんな余裕のなさでは、ろくな曲を書けるわけがない。
そんなわけで、常盤台にて-2 を書き、多少なりともロクでもある? 作品にしようというのが今回の狙い(どんなねらいだ?)
板橋区を走る東武東上線。池袋から三つか四つめが常盤台駅だった。
駅を降りると、まず立ち食いの店があった。そこではソバだけでなく、簡単な丼物や定食があり、学校で疲れたり、バイトで遅くなったときなどは、そこで晩飯を済ませてしまうのが常。
安い値段の割には不味くはなかったかな。ただ分量的に少々物足りなかったような記憶がある。カウンター席が5〜6の小さな立ち食い屋(立ち食いとはいえ、椅子もありましたな〜)。
ただ、ありがたいことに仕送りもいただいていたので、入金された日などは、ちょっとリッチに、家とは反対側の駅出口で降り、ちょっとした洋食屋や中華料理屋に行きもした。ただし素晴らしいお店を想像していただいては困る。貧乏学生に見合ったレベルの店作りである(失礼!)。
しかし、結構美味かったんですよ。
洋食屋での定番は、ミックスフライ。ただ何故かソースを置いていない店で、いつもタルタルソースか何かをかけて食べていた。でも私としては、やはりウスターソースで食い慣れていたため、欲しかったな〜。 何故か、「ソースありませんか?」とは、言い出せなかった。でもここも値段の割には美味しいお店でしたよ。非常に気に入っていました。
一方中華屋での定番は、棒々鶏定食。
ごまだれ(それでいいのかな?)がかけられた鶏肉が何ともいえずに美味しく感じられ、ほとんどこれしか頼まなかった。ただ一回だけ、鶏肉にコバエが付いていて、「うわ!」と、思ったことはあったが、その部分だけ除けて食べればいいや、とばかりに、苦情の一つもいわなかった。いや、当時は今にもまして小心者だったから、言い出せなかっただけなのかも知れない。
この駅の裏口で晩飯を済ませた日は、いつもは通らない裏通り経由で我が愛するボロアパートへの帰宅となるが、圧巻なのはなんといっても・・・。
猫、ネコ、猫、ネコ、猫、ネコ、猫、ネコ、猫。
その多さ! あちらこちらで猫同士の深夜の集会や、テリトリー争い、雌猫の奪い合いと、すさまじい光景もしばしば。
でも、和みましたよ。やはり動物はいいですね。好きですね〜
晩飯を外で済ませない日は、堂々の駅表口からのご帰還になりますが、まず駅のロータリーに囲まれた部分が小さな緑地帯になっており、横断歩道を渡るとそこに行き着き、それを通り越してもう一度横断歩道で、となるわけですが、この緑地帯に、よくキャバレーの客引きのお兄さんがいらっしゃいまして、からかわれたりしたものです。いえ、嫌なからかわれ方ではなく、笑える程度のものですから、面白かったですね。
ある日など、いきなり私に向かって指さしながら「一週間パンツ替えてない!?」と、言われました。
「いや・・・そんな、いえ」私は笑ってごまかしましたけどね。
まったく失礼な。その日はいていたパンツは、三日間も替えていないものではありませんでした。まだまだ三日めでしたけど(笑)!
で、二つめの横断歩道を渡ると、ごくごく小さく、しかし割と遅くまでやっているスーパーがありましたので、そこで簡単な買い物。安くて簡単で腹にたまるもの。
まあ、想像できますね。
本当は駅を出て左側へ行ったところには大きなスーパーがあるのですが、私が帰る頃には終わっていましたから、仕方がありませんでした。昼、家に居るときに、そこで買うことはありましたが、冷蔵庫も小さかったし、冷凍室もありませんでしたから、買いだめなんて出来るものではありませんでした。
小さいスーパーで買っていたのは、スパゲティー、とナポリタンの缶詰。さんまの缶詰、ふりかけ、焼くだけのシューマイや餃子、たまご、キャベツ、トマト、きゅうり。
こんなところでした。
ただし! 翌日が学校休み、かつ財布が少々暖かい、翌日に自分の彼女が遊びに来る。などという日は、張り切って買い物をし、ビーフシチューなぞ作ったことも何回かあります。香辛料やデミグラスソース、ビールと赤ワイン(これは飲むのではなく、シチューに入れる・ちなみに私は下戸)、野菜とさまざまに買い込み、3〜4時間かけて作ったのも思い出深いものです。
常盤台自体は、非常に静かな街。東上線の電車の音が聞こえる街。といった印象でした。
公園などもいくつもあり、東京にしては緑も多く、樹に囲まれた車通りを歩くといった感じでしたでしょうか。
あ、そうそうお風呂!
銭湯は比較的近くにありましたが、週に何回か行きましたね。
それが、住んでいるアパートはボロなのに、銭湯は立派! きれい、清潔、広い。言うことなしでした。改装されて年月がさほど経っていなかったらしく、快適そのもので、これには大いに感謝しました。
銭湯に浸かっている間に、隣にあるコインランドリーで洗濯を済ませるなどということも、よくありました。
一回、洗剤を忘れて、ただの水洗いをせねばならなかったときは、非常に悔しい思いをしたものです。銭湯においても石けんを持ってくるのを忘れて、これまた悔しい思いもしました。私にとっての高い金を払いながら、石けん使わずにお湯にはいるだけとは・・・なんともはや。
そういえば、私がそのアパートに引っ越してきたその日、晩飯に誘ってくれて焼き肉をおごってくれた、一階に住んでいたお兄さんは、どうしたかな〜
「仕送りが来たら、今度はボクにおごってくれるんだよ〜」と、冗談めかして仰っていましたが、私としても、お返しがしたくて、仕送りの日などに戸を叩いたのですが、留守が多く、とうとう約束を果たせずに、私はそのアパートを引っ越してしまいました。
あのお兄さんには感謝しています。知らない土地で一番最初に触れた「人の暖かさ」でしたから。
あと、ボロアパートの(繰り返し繰り返し失礼! でも、愛着があってこその表現ですから許してください)大家のおばあちゃん、いつも家賃を持って行くと、優しそうに話しかけてくれて、しばしの雑談などしたことも何回もありました。どうしてらっしゃるでしょうね・・・・当時、結構のお歳でしたし、あれから二十年以上経っていますからもしかすると・・・・。
その節は本当にお世話になりました。ありがとうございました。
それともう一つ忘れるところでしたが、私の隣に住んでいた調理師志望の学生さん、どうしたかな〜? 私のすぐ後くらいに引っ越してきて、お友達になりましたが、今頃はきっと立派な調理師さんになってらっしゃるでしょう。
とにかく真面目そうで、好感度抜群の人でしたから。
私の作ったへたくそなビーフシチューなぞ食べさせてしまって、ごめんなさいね。
いい街でした。常盤台。
2009年5月8日金曜日
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