今年の作品展用の創作がなかなか進まず、随分と日が経ってしまった。
まだ完成したわけではないし、完全に目処が立ったわけでもないが、時間的には、あともう少しといったところだろうか。ちなみに作品展は、東京のすみだトリフォニー小ホールにて、六月二十五日PM7:00開演。チケット予約その他は、作曲家集団・グループNEXTまたは、現代音楽の音書き部屋にて。もちろんネット予約割引ありです。
と、一応は宣伝しておきますので、もしこのブログをご覧の方で、お越しいただける方は、よろしくご来場のほどを、お願い申し上げます
江古田のアパートひばり荘にて、大学生活がスタートした。
大学一年、二年は江古田から西武線にて、入間市の仏子(ぶし)までの通学である。どれくらい時間がかかったであろう・・・電車に乗る時間が40〜50分、歩きや待ち時間を合わせて一時間半くらいだったであろうか。
短い時間では無かったが、長すぎる時間でもない。電車の中では朝刊を読み(貧乏生活だというのに、なぜか新聞だけは欠かさなかった)、必要があれば授業の予習(いや、勤勉だからではなく、課題が間に合わなかったとき・・・)、そして車窓からの景色を眺める。
この景色がなかなかよかった。今はどうかわからないが、清瀬、秋津付近や所沢を過ぎた辺りでは、大自然真っ只中で、朝陽に輝く木々の青さに感動し、遠くの眺めに目を細めたものだ。
やはり東京に住むと緑を懐かしむ気持ちは大きくなる。公園や街中には植樹が賑わってはいたが、やはりほんまもんの自然は違う。決してスケールが大きな場所でなくとも、元から存在していたものと、人の手によって造作されたものの違いは明か。毎日何らかの自然を、電車通学によって感じ取ることが出来たのは大きかった。
時折、乗車が同じになる友人たちとの、ちょっとした語らいも良い思いで。
大学のある仏子に到着すると、閑静な住宅街を50mほど歩き、大学の門に到着(いや、この敷地内の最初にあったのは、門というほどものではなかったかな)、そこから校地内バスに乗るわけだ。なにぶんにも敷地に入ってから、講義を受ける校舎にたどり着くためには、山登り状態の道であるため、バスが存在していた。
このバスを一本逃したり、満員で乗れなかったりすると大変なことになる。出席票を始めに集める授業であったりすると、当然のことながら遅刻扱いとなってしまう。
そのため、あちらこちらで、発車するバスに乗る友人に向かって、「これ頼む〜っ!」と、出席票を手渡す姿が(笑)。かくいう私も、そのような不正をはたらいたことのある一人である。
しかし、午後からの授業であったり、一限の授業がなかったりしたときは、この入り口からのバスの本数はめっきりと少なくなってしまうため、徒歩での入山となる。
右手に小さな山を臨みながら、校地内レストラン(学食ではあるが、一応つくりはレストランで、多少値の張るものがあり(まあ学食レベルでの値段だが)、校舎群の女子寮内にある学食が昼のみであるのに対し、夕方までは営業していた)を過ぎ、ちょっとしたハイキングコースのような山登り・・・。
新緑の季節など、特に気持ちよい道ではあったが、運の悪いことに授業がフルコース(講義、作曲レッスン、体育、副科ヴァイオリン)の時があり、教科書はめいっぱい、体操着、ヴァイオリン、楽譜と重いのなんの、かさばるのなんの・・・この日ばかりは遅刻は出来なかった。
しかし、帰宅時間に丁度校地内バスが無いと、歩いての下山である。まあ山道の下山は楽ではあったが、その後は、やはり多い荷物に閉口したものだ。
校舎群であるが、真っ白な建物が並び、そのなかにいくつもの講義室、図書室、オーディオルームなどがあり、快適そのもの。見た目にも美しく、初めてこの敷地内に入ったときから感動したものだ。
それからバッハザールと呼ばれるホールがまた立派! 入学式などもここで行われたが、音楽大学に入れたんだな〜 と、実感できたものだ。この入学式の折りに、萩原秀彦氏の作曲されたオルガン曲が流れ、これも印象的であった。
それからグラウンドも整備されており、広々としたところでの体育の授業も、いやいやながら(笑)、気持ちの良い時間でもあった。
特にこの頃の友人、先輩、後輩たちとの思いでは尽きない。
授業の予習を手分けしてやったり(笑)、得意分野を教えあったり、伴奏を頼んだりと、よい思い出が連なる。そのほとんどとは連絡を取り合ったりはしていないが、みんな元気であろうか。
卒業後も私は江古田近辺に住み続けていたので、何年間かは偶然に江古田で会ったりしていたが、時が経つにつれて、それもほとんど無くなってしまった。
今となっては、せめて年賀状のやりとりだけでも続けていればよかったと後悔している。
私の専攻である「作曲」に関しては、大学の一年では、確か g moll のフルートとピアノのデュオを書いたと記憶しているが、私はこの試演会で悟った。
調性音楽は私には書けない・・・と。あっさりと調性音楽に挫折してしまった。
まあ、要するに大失敗作であったわけだ。楽器の使い方から音楽の流れや技法に至るまで、そのほとんどに自身でも不満だらけ・・・ましてや私を教えていた師匠に至っては、どれほどのストレスをおかけしてしまったことやら・・・申し訳ありません。
というわけで、二年の試演会では、初めての無調音楽に挑戦。弦楽四重奏であったが、書いていて楽しかった。やっと自分の居場所が見つかった気分を味わえたが、これも大いなる勘違いで、今その楽譜を見直せば、当然ながら赤面ものであり、よくぞこんなせこいテーマで書いたものだと、失われた過去を取り戻したい気分となってしまう。
なんだか、増四度と半音階の固まりばかりで、こうすれば簡単に調性音楽ではなくなりますよ、というだけの音並び。
あ〜 恥ずかしい恥ずかしい。
もっとも・・・・今も同じようなものかも知れないが。
と、いうことで次回は、大学三年、四年の頃のお話し、肝心の江古田界隈のことは、その次ということになろうか・・・または次回に一緒に書いてしまうか。
いずれにしても、現在作曲中の作品を完成してから。
2009年5月26日火曜日
2009年5月8日金曜日
ふるさと東京-常盤台にて-2
本来は、ふるさと東京-江古田にて-2 になるはずだったのだが、常盤台にて-2 となる。
作曲中で気が急いているのだろう。初めて東京に出て住んだ街だというのに、その街の風景を何も書いてはいなかった。こんな余裕のなさでは、ろくな曲を書けるわけがない。
そんなわけで、常盤台にて-2 を書き、多少なりともロクでもある? 作品にしようというのが今回の狙い(どんなねらいだ?)
板橋区を走る東武東上線。池袋から三つか四つめが常盤台駅だった。
駅を降りると、まず立ち食いの店があった。そこではソバだけでなく、簡単な丼物や定食があり、学校で疲れたり、バイトで遅くなったときなどは、そこで晩飯を済ませてしまうのが常。
安い値段の割には不味くはなかったかな。ただ分量的に少々物足りなかったような記憶がある。カウンター席が5〜6の小さな立ち食い屋(立ち食いとはいえ、椅子もありましたな〜)。
ただ、ありがたいことに仕送りもいただいていたので、入金された日などは、ちょっとリッチに、家とは反対側の駅出口で降り、ちょっとした洋食屋や中華料理屋に行きもした。ただし素晴らしいお店を想像していただいては困る。貧乏学生に見合ったレベルの店作りである(失礼!)。
しかし、結構美味かったんですよ。
洋食屋での定番は、ミックスフライ。ただ何故かソースを置いていない店で、いつもタルタルソースか何かをかけて食べていた。でも私としては、やはりウスターソースで食い慣れていたため、欲しかったな〜。 何故か、「ソースありませんか?」とは、言い出せなかった。でもここも値段の割には美味しいお店でしたよ。非常に気に入っていました。
一方中華屋での定番は、棒々鶏定食。
ごまだれ(それでいいのかな?)がかけられた鶏肉が何ともいえずに美味しく感じられ、ほとんどこれしか頼まなかった。ただ一回だけ、鶏肉にコバエが付いていて、「うわ!」と、思ったことはあったが、その部分だけ除けて食べればいいや、とばかりに、苦情の一つもいわなかった。いや、当時は今にもまして小心者だったから、言い出せなかっただけなのかも知れない。
この駅の裏口で晩飯を済ませた日は、いつもは通らない裏通り経由で我が愛するボロアパートへの帰宅となるが、圧巻なのはなんといっても・・・。
猫、ネコ、猫、ネコ、猫、ネコ、猫、ネコ、猫。
その多さ! あちらこちらで猫同士の深夜の集会や、テリトリー争い、雌猫の奪い合いと、すさまじい光景もしばしば。
でも、和みましたよ。やはり動物はいいですね。好きですね〜
晩飯を外で済ませない日は、堂々の駅表口からのご帰還になりますが、まず駅のロータリーに囲まれた部分が小さな緑地帯になっており、横断歩道を渡るとそこに行き着き、それを通り越してもう一度横断歩道で、となるわけですが、この緑地帯に、よくキャバレーの客引きのお兄さんがいらっしゃいまして、からかわれたりしたものです。いえ、嫌なからかわれ方ではなく、笑える程度のものですから、面白かったですね。
ある日など、いきなり私に向かって指さしながら「一週間パンツ替えてない!?」と、言われました。
「いや・・・そんな、いえ」私は笑ってごまかしましたけどね。
まったく失礼な。その日はいていたパンツは、三日間も替えていないものではありませんでした。まだまだ三日めでしたけど(笑)!
で、二つめの横断歩道を渡ると、ごくごく小さく、しかし割と遅くまでやっているスーパーがありましたので、そこで簡単な買い物。安くて簡単で腹にたまるもの。
まあ、想像できますね。
本当は駅を出て左側へ行ったところには大きなスーパーがあるのですが、私が帰る頃には終わっていましたから、仕方がありませんでした。昼、家に居るときに、そこで買うことはありましたが、冷蔵庫も小さかったし、冷凍室もありませんでしたから、買いだめなんて出来るものではありませんでした。
小さいスーパーで買っていたのは、スパゲティー、とナポリタンの缶詰。さんまの缶詰、ふりかけ、焼くだけのシューマイや餃子、たまご、キャベツ、トマト、きゅうり。
こんなところでした。
ただし! 翌日が学校休み、かつ財布が少々暖かい、翌日に自分の彼女が遊びに来る。などという日は、張り切って買い物をし、ビーフシチューなぞ作ったことも何回かあります。香辛料やデミグラスソース、ビールと赤ワイン(これは飲むのではなく、シチューに入れる・ちなみに私は下戸)、野菜とさまざまに買い込み、3〜4時間かけて作ったのも思い出深いものです。
常盤台自体は、非常に静かな街。東上線の電車の音が聞こえる街。といった印象でした。
公園などもいくつもあり、東京にしては緑も多く、樹に囲まれた車通りを歩くといった感じでしたでしょうか。
あ、そうそうお風呂!
銭湯は比較的近くにありましたが、週に何回か行きましたね。
それが、住んでいるアパートはボロなのに、銭湯は立派! きれい、清潔、広い。言うことなしでした。改装されて年月がさほど経っていなかったらしく、快適そのもので、これには大いに感謝しました。
銭湯に浸かっている間に、隣にあるコインランドリーで洗濯を済ませるなどということも、よくありました。
一回、洗剤を忘れて、ただの水洗いをせねばならなかったときは、非常に悔しい思いをしたものです。銭湯においても石けんを持ってくるのを忘れて、これまた悔しい思いもしました。私にとっての高い金を払いながら、石けん使わずにお湯にはいるだけとは・・・なんともはや。
そういえば、私がそのアパートに引っ越してきたその日、晩飯に誘ってくれて焼き肉をおごってくれた、一階に住んでいたお兄さんは、どうしたかな〜
「仕送りが来たら、今度はボクにおごってくれるんだよ〜」と、冗談めかして仰っていましたが、私としても、お返しがしたくて、仕送りの日などに戸を叩いたのですが、留守が多く、とうとう約束を果たせずに、私はそのアパートを引っ越してしまいました。
あのお兄さんには感謝しています。知らない土地で一番最初に触れた「人の暖かさ」でしたから。
あと、ボロアパートの(繰り返し繰り返し失礼! でも、愛着があってこその表現ですから許してください)大家のおばあちゃん、いつも家賃を持って行くと、優しそうに話しかけてくれて、しばしの雑談などしたことも何回もありました。どうしてらっしゃるでしょうね・・・・当時、結構のお歳でしたし、あれから二十年以上経っていますからもしかすると・・・・。
その節は本当にお世話になりました。ありがとうございました。
それともう一つ忘れるところでしたが、私の隣に住んでいた調理師志望の学生さん、どうしたかな〜? 私のすぐ後くらいに引っ越してきて、お友達になりましたが、今頃はきっと立派な調理師さんになってらっしゃるでしょう。
とにかく真面目そうで、好感度抜群の人でしたから。
私の作ったへたくそなビーフシチューなぞ食べさせてしまって、ごめんなさいね。
いい街でした。常盤台。
作曲中で気が急いているのだろう。初めて東京に出て住んだ街だというのに、その街の風景を何も書いてはいなかった。こんな余裕のなさでは、ろくな曲を書けるわけがない。
そんなわけで、常盤台にて-2 を書き、多少なりともロクでもある? 作品にしようというのが今回の狙い(どんなねらいだ?)
板橋区を走る東武東上線。池袋から三つか四つめが常盤台駅だった。
駅を降りると、まず立ち食いの店があった。そこではソバだけでなく、簡単な丼物や定食があり、学校で疲れたり、バイトで遅くなったときなどは、そこで晩飯を済ませてしまうのが常。
安い値段の割には不味くはなかったかな。ただ分量的に少々物足りなかったような記憶がある。カウンター席が5〜6の小さな立ち食い屋(立ち食いとはいえ、椅子もありましたな〜)。
ただ、ありがたいことに仕送りもいただいていたので、入金された日などは、ちょっとリッチに、家とは反対側の駅出口で降り、ちょっとした洋食屋や中華料理屋に行きもした。ただし素晴らしいお店を想像していただいては困る。貧乏学生に見合ったレベルの店作りである(失礼!)。
しかし、結構美味かったんですよ。
洋食屋での定番は、ミックスフライ。ただ何故かソースを置いていない店で、いつもタルタルソースか何かをかけて食べていた。でも私としては、やはりウスターソースで食い慣れていたため、欲しかったな〜。 何故か、「ソースありませんか?」とは、言い出せなかった。でもここも値段の割には美味しいお店でしたよ。非常に気に入っていました。
一方中華屋での定番は、棒々鶏定食。
ごまだれ(それでいいのかな?)がかけられた鶏肉が何ともいえずに美味しく感じられ、ほとんどこれしか頼まなかった。ただ一回だけ、鶏肉にコバエが付いていて、「うわ!」と、思ったことはあったが、その部分だけ除けて食べればいいや、とばかりに、苦情の一つもいわなかった。いや、当時は今にもまして小心者だったから、言い出せなかっただけなのかも知れない。
この駅の裏口で晩飯を済ませた日は、いつもは通らない裏通り経由で我が愛するボロアパートへの帰宅となるが、圧巻なのはなんといっても・・・。
猫、ネコ、猫、ネコ、猫、ネコ、猫、ネコ、猫。
その多さ! あちらこちらで猫同士の深夜の集会や、テリトリー争い、雌猫の奪い合いと、すさまじい光景もしばしば。
でも、和みましたよ。やはり動物はいいですね。好きですね〜
晩飯を外で済ませない日は、堂々の駅表口からのご帰還になりますが、まず駅のロータリーに囲まれた部分が小さな緑地帯になっており、横断歩道を渡るとそこに行き着き、それを通り越してもう一度横断歩道で、となるわけですが、この緑地帯に、よくキャバレーの客引きのお兄さんがいらっしゃいまして、からかわれたりしたものです。いえ、嫌なからかわれ方ではなく、笑える程度のものですから、面白かったですね。
ある日など、いきなり私に向かって指さしながら「一週間パンツ替えてない!?」と、言われました。
「いや・・・そんな、いえ」私は笑ってごまかしましたけどね。
まったく失礼な。その日はいていたパンツは、三日間も替えていないものではありませんでした。まだまだ三日めでしたけど(笑)!
で、二つめの横断歩道を渡ると、ごくごく小さく、しかし割と遅くまでやっているスーパーがありましたので、そこで簡単な買い物。安くて簡単で腹にたまるもの。
まあ、想像できますね。
本当は駅を出て左側へ行ったところには大きなスーパーがあるのですが、私が帰る頃には終わっていましたから、仕方がありませんでした。昼、家に居るときに、そこで買うことはありましたが、冷蔵庫も小さかったし、冷凍室もありませんでしたから、買いだめなんて出来るものではありませんでした。
小さいスーパーで買っていたのは、スパゲティー、とナポリタンの缶詰。さんまの缶詰、ふりかけ、焼くだけのシューマイや餃子、たまご、キャベツ、トマト、きゅうり。
こんなところでした。
ただし! 翌日が学校休み、かつ財布が少々暖かい、翌日に自分の彼女が遊びに来る。などという日は、張り切って買い物をし、ビーフシチューなぞ作ったことも何回かあります。香辛料やデミグラスソース、ビールと赤ワイン(これは飲むのではなく、シチューに入れる・ちなみに私は下戸)、野菜とさまざまに買い込み、3〜4時間かけて作ったのも思い出深いものです。
常盤台自体は、非常に静かな街。東上線の電車の音が聞こえる街。といった印象でした。
公園などもいくつもあり、東京にしては緑も多く、樹に囲まれた車通りを歩くといった感じでしたでしょうか。
あ、そうそうお風呂!
銭湯は比較的近くにありましたが、週に何回か行きましたね。
それが、住んでいるアパートはボロなのに、銭湯は立派! きれい、清潔、広い。言うことなしでした。改装されて年月がさほど経っていなかったらしく、快適そのもので、これには大いに感謝しました。
銭湯に浸かっている間に、隣にあるコインランドリーで洗濯を済ませるなどということも、よくありました。
一回、洗剤を忘れて、ただの水洗いをせねばならなかったときは、非常に悔しい思いをしたものです。銭湯においても石けんを持ってくるのを忘れて、これまた悔しい思いもしました。私にとっての高い金を払いながら、石けん使わずにお湯にはいるだけとは・・・なんともはや。
そういえば、私がそのアパートに引っ越してきたその日、晩飯に誘ってくれて焼き肉をおごってくれた、一階に住んでいたお兄さんは、どうしたかな〜
「仕送りが来たら、今度はボクにおごってくれるんだよ〜」と、冗談めかして仰っていましたが、私としても、お返しがしたくて、仕送りの日などに戸を叩いたのですが、留守が多く、とうとう約束を果たせずに、私はそのアパートを引っ越してしまいました。
あのお兄さんには感謝しています。知らない土地で一番最初に触れた「人の暖かさ」でしたから。
あと、ボロアパートの(繰り返し繰り返し失礼! でも、愛着があってこその表現ですから許してください)大家のおばあちゃん、いつも家賃を持って行くと、優しそうに話しかけてくれて、しばしの雑談などしたことも何回もありました。どうしてらっしゃるでしょうね・・・・当時、結構のお歳でしたし、あれから二十年以上経っていますからもしかすると・・・・。
その節は本当にお世話になりました。ありがとうございました。
それともう一つ忘れるところでしたが、私の隣に住んでいた調理師志望の学生さん、どうしたかな〜? 私のすぐ後くらいに引っ越してきて、お友達になりましたが、今頃はきっと立派な調理師さんになってらっしゃるでしょう。
とにかく真面目そうで、好感度抜群の人でしたから。
私の作ったへたくそなビーフシチューなぞ食べさせてしまって、ごめんなさいね。
いい街でした。常盤台。
2009年5月4日月曜日
閑話休題
ここのところふるさとシリーズを書いているが・・・もっともブログタイトルがこれだから、当然といえば当然か(笑)。
しかしまてよ。まだふるさとの思いでだけで埋め尽くせるほどの人生経験には足りない。
どのみちふるさと以外の話題に行かざるを得ないということか。
このブログタイトル失敗だったかな(笑)?
まあいいか。
なんだかとりとめが無くなりそうだが、実は作品展が近いというのに、まだまだ作品の完成にほど遠い。
今回のテーマが自分にとって少々重すぎたような気もしている。細かくは絶対に語らないが(わたしは自作品を語るのが大嫌いな質でして)、少しだけ話すと、自然の中のある場面を思い描きながら書き進めている。
これは重い。
書こうとしてもあまりにも厳しく、とても自分ごときの手に負えないことを、書けば書くほどに身にしみ、筆が進まなくなってしまうのだ。
今の自分には、いや未来の自分であっても、一生書けないような気分。
まあ少しでも、その断片でも表せれば御の字というところか。
断片でも無理だろうな〜
あ〜 辛い。
などと愚痴っていても始まらないので、とにかく一生懸命に書き進めるしかない。
なにしろ、来場してくださるお客様は、そのほとんどが貴重なお金を払ってチケットを買ってくださる方々。
お金を払っていただく以上、こちらも必死に進めなくてはならない。
書かねば書かねば書かねば。
自然は雄大で厳しいですね〜
あ、いかん書き忘れていた。ここ何回かのふるさとシリーズは、前回書きましたように、もうちょいと作品が進んでから。
しかしまてよ。まだふるさとの思いでだけで埋め尽くせるほどの人生経験には足りない。
どのみちふるさと以外の話題に行かざるを得ないということか。
このブログタイトル失敗だったかな(笑)?
まあいいか。
なんだかとりとめが無くなりそうだが、実は作品展が近いというのに、まだまだ作品の完成にほど遠い。
今回のテーマが自分にとって少々重すぎたような気もしている。細かくは絶対に語らないが(わたしは自作品を語るのが大嫌いな質でして)、少しだけ話すと、自然の中のある場面を思い描きながら書き進めている。
これは重い。
書こうとしてもあまりにも厳しく、とても自分ごときの手に負えないことを、書けば書くほどに身にしみ、筆が進まなくなってしまうのだ。
今の自分には、いや未来の自分であっても、一生書けないような気分。
まあ少しでも、その断片でも表せれば御の字というところか。
断片でも無理だろうな〜
あ〜 辛い。
などと愚痴っていても始まらないので、とにかく一生懸命に書き進めるしかない。
なにしろ、来場してくださるお客様は、そのほとんどが貴重なお金を払ってチケットを買ってくださる方々。
お金を払っていただく以上、こちらも必死に進めなくてはならない。
書かねば書かねば書かねば。
自然は雄大で厳しいですね〜
あ、いかん書き忘れていた。ここ何回かのふるさとシリーズは、前回書きましたように、もうちょいと作品が進んでから。
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